ペリー来航と関東学院設立の繋がり
関東学院の源流については、学校法人のサイトにも記載があることを香葉会のページでも何度かご紹介してきましたが、「ペリー来航がなければ関東学院は設立されていなかったかもしれない」といったら興味を惹かれませんか?
たんぽぽの会が主催した「横浜バプテスト神学校発祥の地」見学の際に、記念板が設置してある山手75番地を訪れました。その記念板は斉藤秋造さんとおっしゃる方の敷地に設置されています。斉藤さんは、学院の内藤元理事長と知り合い記念板を設置するための場所を提供してくださることになったそうです。
たんぽぽの会の幹事長とも懇意であることから、今回の見学に際して資料まで準備され、色々お話を聞かせてくださいました。
宣教師のネイサン・ブラウンとA.A.ベンネットについては、聞き覚えがあるという方もいらっしゃると思います。
そのネイサン・ブラウンが来日するきっかけを作ったのはジョナサン・ゴーブルという、ペリー艦隊の乗員から宣教師になった人だったそうです。
ジョナサン・ゴーブルはペリー艦隊と共に来日したことをきっかけに帰国後神学校で学び、日本で宣教をするために自費で再来日。その後どうしても日本に神学校をつくりたいとバプテスト会派で力を持つネイサン・ブラウンと共に再来日し、山手75番にバプテスト教会を設立しました。
その後、ネイサン・ブラウンが横浜バプテスト神学校の設立会議を主宰し、ベンネットが初代校長となる・・・という流れに繋がりました。
ところで、なぜペリーは日本に来航したのか?目的は捕鯨だったそうです。当時鎖国していた日本の近海で捕鯨をしても食料の調達もできなかったことから、開国を求めるために来航したのだそうです。当時のアメリカが鯨の脂を必要としていなかったら、ペリーは来航せず、ジョナサン・ゴーブルも他の宣教師も日本に来るのはもっとずっと後だったのかもしれません。
斉藤秋造さんは関東学院の卒業生ではないそうですが、卒業生の私たちよりずっと深く歴史に興味を持ち、色々調べてこられた方だということがとてもよく伝わりました。学院の125周年記念の際には式典にもいらしたそうで、その際に配られた本や式次第まできちんと保管されていらっしゃいました。
NPO法人 横浜シティガイド協会でボランティア活動もされていた方で、説明がとてもわかりやすくて楽しく有意義な時間でした。
ぜひ別の機会にまたお話を聞かせていただきたいと思います。
以前香葉会のページで紹介した関東学院の源流については、こちらからご覧ください。